デイサービスを立ち上げた原点

リハテーラー横浜都筑の代表、池畑健太(理学療法士)です。

兄が亡くなったのをきっかけに、
改めて自分がなぜこの仕事に就いたのか?
このままの働き方で良いのか?
この環境で家族を幸せにすることができるのか?

自分のミッションや今後のキャリアを考えた時に、

「ここのままではいけない」

そう感じたことと兄の死に直面して限りある人生なので、
思いっきりやりたいことをやろうという気持ちが強くなり、
自ら会社を立ち上げる決意をしました。

起業した当時は理学療法士による起業も少なく、手探りでしたが、
「デイサービス」という形態であれば、起業できることが分かりました。

そしてデイサービスは日数制限や時間の自由度も高いので、
退院してからもリハができる施設に最適だ!
と考えて、兄が亡くなった翌年の平成24年にリハビリデイサービスを立ち上げました。

兄が亡くなっていなかったら、安定した環境の中で、家族と平々凡々と暮らしていたと思います。

兄の事故がなければ、理学療法士になっていなかったと思います。

おかげさまで、自分は社会の役に立つ人間に少しはなることができました。

私が仕事をする原点は

「兄のように困っている方々の手助けをする」

そのために事業を行っています。

<企業理念>
貢献の輪〜利用者様への貢献、社会への貢献、社員への貢献〜
我が社は、介護・福祉事業を通して、利用される方とご家族の人生の質の向上に貢献し、
全社員の物心両面の幸福と社会保障の安定に寄与することを目的とする

<起業ビジョン>
子供から高齢者まで障害の有無に関わらず、安心して過ごせる社会をつくる

兄の経験を通して、起業をして、多くのご利用者様とご家族と接していくなかで、
成熟していった理念です。

私たちは原点を忘れずに事業を進めて参ります。

急性期から回復期の現場への転職。そこで感じたこと。

代表の池畑健太です!

前回の続きを書きますので、お付き合いください!

急性期病院からの転職を考えている時に、
「リハビリテーション科を立ち上げるけど一緒にどう?」
と、一緒に働いていた先生から声をかけられました。

「頑張れば頑張った分だけお給料は出すよ!」

1からの立ち上げであること
頑張りを評価してくれること

ここに魅力を感じるとともに、急性期で働いているといつかは退院しますし、日数制限もあったため、その後のフォローの必要性を感じていたので、そのお声かけに甘えさせてもらい、整形外科に転職をしました。

骨折をした後のフォロー
退院後のフォロー

などなど、急性期ではできなかったことがたくさんできて、転職して良かったと思いましたし、頑張った分だけ給与に反映してくれていたので、給与も病院時代から1.5倍くらいになりました。
それでいて、土日祝休みで、GW、夏季休暇、年末年始と各1週間の休みがあるので、不満は一切ありませんでした。

しかし、ここで立ち止まるのではなく、土曜日には老健でバイトをしたり、整形外科は昼休みが長いので、昼休憩に訪問リハビリを立ち上げて、精力的に動いていました。

そこで介護保険と関わることになったのです。

老健でのバイトは入所と通所を担当していましたが、「これがリハビリか?」と思うほど残念な内容でした。
入所では退院後に「短期集中リハビリ」と称してリハビリを目的に入所してくるのですが、40分のリハビリだけで、後は他の入所者と一緒に体操したり・・・。
通所も同様で、少しの時間のリハビリだけのために1日利用している。

そして、昼休みに興味本位で始めた訪問リハビリの需要が高いことも驚きました。

そんな現実を目の当たりにして、介護保険でのリハビリを色々と調べるようになりました。

退院した後にしっかりとリハビリをする場がないということに気づきました。

給与もそこそこ、休みもしっかり、その頃には結婚して、子供もいたので、安定思考になっていた自分に少しずつ火がついてきました。

そんなことを思っていた時に兄が急になくなりました・・・。

後日、続きを書きますので、またお付き合いください!

リハテーラー横浜都筑 代表 池畑健太(理学療法士)

理学療法士として病院に就職。その後は…?

リハテーラー横浜都筑 代表の池畑健太です!

前回の続きを書かせていただきますので、お付き合いください!

無事に理学療法士の養成校に入学しましたが、お世辞でも良い生徒とは言えませんでした。

とりあえず入学できるところという理由で決めたので、通学にはなんと3時間かかるため、着く頃には疲れ果てて、授業は寝ていることが多かったです。(先生ごめんなさい)

そして、学校が終わるとまた3時間かけて帰る日々・・・。

言い訳ですが、勉強に身が入るわけもなく、いつも赤点ギリギリで多くの同級生に助けてもらいました。
同級生と言っても現役で入った同級生は少なく、半分以上が年上という環境にも大いに助けれらました。

医療系の実習あるあるかもしれませんが、実習ではかなりのシゴキを受けましたが、高校の野球部時代のシゴキに比べれば、なんてことなかったので、実習も無事に通過し、卒業することができました!

国家試験に受かれば、晴れて理学療法士になれるわけですから、国家試験の勉強は人生で一番勉強し、無事に合格することができました。

就職も当時はありがちな「とりあえず急性期」という発想で就職を決めましたが、根底にあったのは、
「理学療法士としてやることはどこに就職しても同じ」
という考え方でした。

最初に就職した病院は良い先輩や他職種に恵まれて、最高の環境で働くことができました。
その時に働いていた先生や先輩とは今でもお付き合いが続いています。

1年目はがむしゃらに働き、遊び、充実した時間を過ごしました。
しかし、2年目になった頃に将来を考えた時に「このままで良いのか?」と思うことがありました。

とてもやりがいのある仕事で楽しいけれども「キャリア」として考えた時に、将来どうなるのだろうか?ということでした。

このキャリアを10年、20年と続けていても、ずっとリハビリをしているだけで、昇給もあまりなく、自分のキャリアはどうなんだろうと考えました。

今は楽しいかもしれないが、給与は頑張っても600万くらいで、結婚して、子供が生まれて、充実した人生を送れるのだろうか?

そう思いました。

元々、人より良い生活がしたい、認められたいという欲求があったこともあったかもしれませんが、病院でのキャリアに見通しが持てずに転職を決意しました。


続きは後日お付き合いいただければ嬉しいです。

リハテーラー横浜都筑 代表 池畑健太(理学療法士)

理学療法士を目指したきっかけ

リハテーラー 横浜都筑代表の池畑健太です!

私は理学療法士の資格を2006年に取得し、2012年にデイサービスを起業をしました。

今では、デイサービスだけでなく、横浜市で初めてとなる共生型の自立訓練(機能訓練)、放課後等デイサービスを運営しており、今年は児童発達支援、保育園、訪問看護ステーションの立ち上げを計画しています。

なぜ起業したのか?という原点を少し書かせていただきます。

そもそも理学療法士になったきっかけはホームページにも書きましたが、兄の事故がきっかけでした。

バイク事故により頭部外傷や骨折などにより障害を持つことになりました。
最初は寝たきりでしたが、意識を取り戻してから、リハ病院に転院し2年後に歩いて自宅退院をしました。

これは急性期での救命処置により命が助けられたこと。
リハビリによって機能回復ができたこと。
多くの方々の支えによって自宅に歩いて帰ってくることができました。
残念ながら高次脳機能障害が残ってしまい、家族のサポートなしでは生活できなくなってしまいましたが、
最初の状態を知っているだけに、歩いて帰ってこれただけでも十分でした。

その姿を見て、
「兄のように困っている方々のサポートがしたい!」
と大義名分はありましたが、
スポーツもやっていたため、身体に携わる仕事がしたいと漠然と思っていたこと、
将来スーツを着て、サラリーマンをするイメージが持てなかったこと、
そして、理学療法士は高給であったということ(当時は・・・笑)、
が要因となり、理学療法士を志しました。

高校まで野球しかやってきておらず、高校も野球で進学したので、勉強は全くできませんでした。
理学療法士を目指した2002年は理学療法士の養成校が不足していることに加え、大卒や社会人経験を経て、進学する方も多かったため、入学するのは狭き門でした。

まず、どの学校も倍率が軒並み20倍以上で、高校の成績が5段階評価で平均で4以上ないと受験すらできなかったのですが、当時の私の成績は1とちょっと・・・。

倍率も高いし、そもそも受験資格を満たしていない・・・。

どうしたものかと悩んでいると、新設されたばかりの専門学校が高校の成績を問わない面接や小論文、筆記試験などを行う入試を行っていることが分かりました。

早速、予備校に通い、模試を受けると

『F判定』・・・合格率5%未満

と判定を受けました。

それでも諦めることができずに、受験資格のある新設校の一本に絞り、50倍の倍率をくぐり抜け、見事合格しました!(筆記試験は全く手応えがなかったので、面接で受かったと確信しています!)

今では学校を選ばなければ入学できると言われている時代ですので、信じられないかもしれませんが、実話です。

タイトルは

「なぜ起業したか?」

でしたが、まだ入学までしか書いていませんので、続きは後日にお付き合いください!

リハテーラー横浜都筑 代表 池畑健太(理学療法士)

私たちが採用で大切にしていること

私たちは「理念共感型採用」を実施しています。

理念共感型採用とは、その名前の通り、弊社の理念に共感した方に入社していただくという考え方です。

採用において一番不幸なことは採用した側も採用された側もお互いに
『こんなはずじゃなかった』
となってしまうことです。

入社前に聞いていたことと入ってみたら全然違う!
条件が提示したものと違う!

もちろん実際のイメージと100%合致することは難しいかもしれませんが、
100%に近づけることはできます。

入社前に、その人にとってのメリット、デメリットを伝えています。
メリット、デメリットは人によって様々です。

例えば、
仕事で成功していきたい!という人もいれば
家庭を優先していきたい!という人もいます。

弊社は成長過程にある企業なので、いろんな挑戦をしていくことがあります。
その挑戦の中でハードワークになってしまうこともあります。
そのような状況になった時に、
前者の方にとってはメリットになりますし、
後者の方にとってはデメリットになるかもしれません。

故に入社前に
『会社はこういう方向に向かっています』
ということを伝えます。

そして何より重要なことは
『なぜ私たちがこういう方向に向かっているのか?』
という目的です。

すなわち企業の存在価値である『企業理念』です。

私たちの企業理念は

貢献の輪〜利用者様への貢献、社会への貢献、社員への貢献〜

我が社は、
介護・福祉事業を通して、
利用される方とご家族様の人生の質の向上に貢献し、
全社員の物心両面の幸福の追求と社会保障の安定に寄与することを目的とする

ということです。

この理念を実現するために事業を営んでいます。

障害があってもなくても、
子供でも高齢者でも、
安心して過ごせる社会を実現するために
私たちは存在しています。

ここに共感してくださる人を採用しています。

ご興味ある方は、是非お問い合わせください。