リハテーラー横浜都筑 代表の池畑健太です!
前回の続きを書かせていただきますので、お付き合いください!
無事に理学療法士の養成校に入学しましたが、お世辞でも良い生徒とは言えませんでした。
とりあえず入学できるところという理由で決めたので、通学にはなんと3時間かかるため、着く頃には疲れ果てて、授業は寝ていることが多かったです。(先生ごめんなさい)
そして、学校が終わるとまた3時間かけて帰る日々・・・。
言い訳ですが、勉強に身が入るわけもなく、いつも赤点ギリギリで多くの同級生に助けてもらいました。
同級生と言っても現役で入った同級生は少なく、半分以上が年上という環境にも大いに助けれらました。
医療系の実習あるあるかもしれませんが、実習ではかなりのシゴキを受けましたが、高校の野球部時代のシゴキに比べれば、なんてことなかったので、実習も無事に通過し、卒業することができました!
国家試験に受かれば、晴れて理学療法士になれるわけですから、国家試験の勉強は人生で一番勉強し、無事に合格することができました。
就職も当時はありがちな「とりあえず急性期」という発想で就職を決めましたが、根底にあったのは、
「理学療法士としてやることはどこに就職しても同じ」
という考え方でした。
最初に就職した病院は良い先輩や他職種に恵まれて、最高の環境で働くことができました。
その時に働いていた先生や先輩とは今でもお付き合いが続いています。
1年目はがむしゃらに働き、遊び、充実した時間を過ごしました。
しかし、2年目になった頃に将来を考えた時に「このままで良いのか?」と思うことがありました。
とてもやりがいのある仕事で楽しいけれども「キャリア」として考えた時に、将来どうなるのだろうか?ということでした。
このキャリアを10年、20年と続けていても、ずっとリハビリをしているだけで、昇給もあまりなく、自分のキャリアはどうなんだろうと考えました。
今は楽しいかもしれないが、給与は頑張っても600万くらいで、結婚して、子供が生まれて、充実した人生を送れるのだろうか?
そう思いました。
元々、人より良い生活がしたい、認められたいという欲求があったこともあったかもしれませんが、病院でのキャリアに見通しが持てずに転職を決意しました。
続きは後日お付き合いいただければ嬉しいです。
リハテーラー横浜都筑 代表 池畑健太(理学療法士)